 
                    
                         ルクソールはかつてテーベと呼ばれ、新王国時代には首都として大いに栄えた場所です。
                        それだけにこの時代の王(ハトシェプスト女王、ツタンカーメン王、ラムセス2世等)の
                        遺跡が数多く残されています。
                         ルクソールはナイル川を挟んでその東岸と西岸に分かれています。
                        ルクソールの西岸はかつて死者の都(ネクロポリス)と呼ばれていたところです。
                        というと何か恐ろしげですが、古代エジプト人は日の沈む方向(西)に死後の世界があると
                        考え、西岸を墓地として利用していたところからきているようです。
                         よって西岸からは王や王妃の墳墓遺跡が多く発掘されています。しかし王たちは金銀財宝
                        とともに葬られていたために、ほとんどの墓が盗掘にあって財宝を盗まれてしまいました。
                        その中でひとつ無傷で残されていたのがあのツタンカーメン王の墓で、その財宝はカイロの
                        考古学博物館で見ることができます。
                    
 
                        ラムセス6世の墓 -王家の谷-
 ルクソール西岸の代表的な見所の1つ「王家の谷」は、砂漠の谷奥にある
                            新王国時代の王墓の集まるところです。
                             ラムセス6世の玄室へ向かう通路の壁と天井には、一面にとても保存状態のよい壁画
                            が描かれています。
                             王家の谷には60以上の墓が発見されていて見学可能な墓も数多く、どこを見れば
                            いいか迷ってしまいますが、ラムセス6世の墓は必見です。
                        
 
                        ラムセス6世の墓(玄室) -王家の谷-
 最奥にある玄室です。ここにも壁や柱、天井に見事な壁画が描かれています。
                             玄室とは遺骸や副葬品を収める墓の主室で、基本的には通路の最奥にあります。王家の谷にある
                            墓それぞれに個性のある作りになっていたりするので、いろいろ見学してみるといいと思います。
                        
 
                        ラムセス4世の墓(玄室) -王家の谷-
ラムセス6世と並び、4世の墓にも見事な壁画が残されています。 さらに玄室には石棺も残っており、その上の天井には天空の女神ヌゥト神が描かれています。 ラムセス4世の墓も必見です。
 
                        アメンヘルケプシェフ王子の墓 -王妃の谷-
 王妃の谷は王家の谷の南に位置し、王家の谷に比べると訪れる人も少ないので
                            比較的ゆったりと見学できます。
                             写真はラムセス3世の王子でわずか12歳で亡くなったアメンヘルケプシェフ王子の墓です。。
                        
 
                        ハトシェプスト女王葬祭殿
 切り立った岸壁の下に張り付くように建つハトシェプスト女王葬祭殿です。
                             切り立った岸壁の向こう側が王家の谷となります。ここから王家の谷まで岸壁を越えていく道
                            もあるようで、体力に自身のある方は行かれてみるといいかもしれませんね。
                            私も山歩きは好きなので、機会があったら歩いてみたいです。
                        

ハトシェプスト女王葬祭殿 -壁画-
 第2テラス奥の柱廊の壁に描かれた壁画です。
                            ここには当時のプント(現ソマリア)との交易の様子などが描かれています。
                             ハトシェプスト女王はもともとはトトメス2世の王妃であったようですが、トトメス2世の死後、
                            まだ幼かったトトメス3世に代わり実権を握り、王位についてしまった人です。
                            そのためトトメス3世はハトシェプスト女王をかなり憎んでいたようで、女王の死後その象徴と
                            なるものをかなり破壊したそうです。